2025年1月12日(日)「蛇にまつわる人々」第三弾は、巳年の今年、最も注目されているホットスポット「蛇窪神社」(へびくぼじんじゃ、東京都品川区)に集う人々です。今日は令和7年の最初の巳の日「初巳」であったこともあり、大勢の参拝者が集まりました。
朝5時55分、佐野発の高速バスで出発し、新宿駅からは埼京線で西大井駅まで行き、そこから徒歩で「蛇窪神社」に向かいました。8時前には着く予定でした。「蛇窪神社」の社務所が開くのが9時ということなので、さすがにまだ誰も来ていないだろうと、高を括っていましたが、私の淡い期待は、あっけなく崩れ去ることになりました。
7時50分、「蛇窪神社」の鳥居が見えるところに到着すると、すでに行列ができていました。まあ、このくらいは仕方ないか(想定内)と気を取り直し、列の最後尾を目指しました。すると、道路沿いではなく、近くの小学校の校庭へと案内されました。道路沿いだと近隣住民の方々に迷惑がかかるので、小学校の校庭の中で並ぶというシステムになっていたのです。導かれるままに最後尾に並ぶと、神社の誘導の係から、衝撃の一言が発せられました。「ここだと、約3時間待ちです。」
列はどんどん長く伸びていきます。2時間後の10時には、校庭は人の列で埋め尽くされました。1つの列が2人1組で100人いたとして、10列はかるく超えていました。少なくとも1000人以上が並んでいたことになります。校庭にも入れない人たちは、さらに道路沿いにも並んでいました。この時点で「7時間待ち」となり、10時半過ぎには今日参拝できる人は、ここまで、という打ち切りが宣言されました。近隣住民に迷惑をかけるので、警察からストップがかけられたそうです。
10時50分、やっと小学校の校庭から抜け出ることができ、参道の入り口が見えてきました。先が見えてきた、という安堵感が広がりました。
3時間、私と並んでいた方に写真を撮ってもらいました。3時間も並んでいると、不思議な連帯感が芽生えてきて、いろいろお話をすることができました。その方は、なんと山口県から来られたそうです。山口県岩国市は、蛇窪神社と並び「日本白蛇三大聖地」の一つに数えられています。そのような縁から、ここに来られたそうです。私も不思議な縁を感じました。今年中には「日本白蛇三大聖地」を巡ることを目標の一つに掲げました。
そして、11時ちょうどに「蛇窪神社」の鳥居をくくることができました。
境内では、吉福社中による「白蛇舞」並びに「獅子舞」が奉納されていました。白蛇、獅子、大黒様、オカメが登場し、参拝者に愛嬌を振舞っていました。
私も獅子から福をいただきました。
「白蛇舞」や「獅子舞」は、正月三が日、初巳の日、乙巳(きのとみ)の日(1年に3回)の日だけ披露してくれることになっています。今日は「初巳の日」だったので大当りでした。
「社殿」です。ここでまず参拝します。
「撫で白蛇」です。「白蛇様の夫婦で、大きい方が女性。脱皮する蛇のように再生・気力の復活・開運を願いましょう。」(蛇窪神社 境内マップより)
「蛇窪龍神社」です。「この地で1000年以上の歴史があると伝わる蛇窪の守護神。7匹の白蛇と全長8mの白龍は神様の使いである白蛇が、8匹目で白龍になるという言い伝えを表している。」(同)
「白蛇弁財天社」です。「白蛇は白龍になって滝を登るといわれている。龍神様の守る「龍神の玉」を白蛇清水が清めている。」(同)
「蛇窪神社」の鳥居をくぐってから境内で参拝する時間は1時間程度ありました。出る時間は制限されていません。かなり厳しい入場制限が行われた結果、境内に入ることができれば、比較的余裕をもって楽しむことができました。この他にも「白蛇種銭の銭回し」「白蛇清水銭洗い」「運玉入れ」など、楽しいイベントが目白押しでした。3時間並んだ甲斐がありました。すごろくの様に校庭をぐるぐると回り、上がった先に待っていた、期待を裏切らない「参拝アトラクション」に大満足しました。
御朱印はすべて書き置きで、待ち時間はありませんでした。(1枚300円)
最後に、「蛇窪神社」がなぜこんなに大人気なのかを考えてみました。
①蛇が祀られている神社はそもそも少ない。
→十二支の動物のうち、神または神の使いとされているのは、辰(龍)と巳(蛇)くらいです。龍は干ばつで苦しむ土地に雨を降らせ、大飢饉を救ってくれる龍神様として、全国の至る所で祀られています。そのため、昨年の辰年でも、龍神様の祀られている神社は数多くあったため、人気が一か所に集中することはありませんでした。
それに比べると、蛇については、「白蛇」という突然変異のアオダイショウ?が生息していたということから出発し、そこから白蛇伝説などが生まれたと考えられます。これが発展したものが現在「白蛇三大聖地」とされている「蛇窪神社」「群馬県沼田市 老神温泉」「山口県 岩国市」であり、さらに信仰の対象として神と結びついたのが「蛇窪神社」です。つまり、「蛇窪神社」は、白蛇伝説の最高峰に位置する唯一無二の最強の存在なのです。そのため、巳年の今年は一極集中、独り勝ちの状態です。(これはあくまで私見です)
境内にさりげなく貼ってあったポスターです。スタンプラリーが今日から始まっていたことに気付いたのは、家に帰ってからでした。
②蛇窪神社の地道な取り組みが巳年に花開いた。
→このことは、小学校の校庭で3時間待っている間に感じました。参拝客から苦情一つでない整然とした誘導システムは、巳年だから急遽考えたものでなく、普段でも参拝客が多い「巳の日」などでの試行錯誤がノウハウとして蓄積されていたのではないかと思いました。
実際、1000人を超える列を仕切っていたのは、神社の関係者数名だけでした。すべて的確な指示だけで、声を張り上げることは一度もありませんでした。これだけ人が集まっても、破綻の兆しも見せず、しかも参拝者を満足させることができたことは、本当は奇跡に近いことなのではないかと思っています。
また、「巳の日」に獅子舞や白蛇舞などを奉納するなど、定期的なイベントを実施することで、リピーターあるいはサポーターが普段から一定数いたことが考えられます。また、特に若い世代も楽しいと感じられる工夫が随所に感じられました。つまり、巳年でなくとも、定期的に参拝者が集まるシステムや参拝の質の向上などが有効に機能していたことが大きいと思います。こうした、普段の地道な取り組みが巳年に花開いた、と考えることができます。(これもあくまで私見です)
③近隣住民によるまちづくりのシンボルとなっている。
→「蛇窪神社」の近隣は、「旧蛇窪村」というくくりで、SNAKE TOWN として、「へびくぼ市」を定期的に開催したり、商店街マップを作っていたりしています(境内でも配布していました)。このように神社と街が、同じ方向性で手を組み、参拝客が増えれば、商店街も潤う、という仕組みがあり、今日のような超混雑期でも、協力して何とかしようという共同体として、力を発揮しているのではないかと思います。これは、蛇を模した街灯に象徴的に表れています。(これもあくまで私見です)
このように、神社だけでなく、旧蛇窪村の住人や行政を巻き込み、いわゆる町おこしの一環として、知名度を上げていたことが、巳年に花開くことができた要因の一つではないかと考えています。
今回は、蛇窪神社の参拝を通して感じた、神社、参拝客、近隣の住民が、蛇のように絡まり合った「蛇にまつわる人々」として紹介しました。(もちろん、あくまで私見です)
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