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​身近な風景

  • 執筆者の写真tokyosalamander

『Beautiful Words』No.9

更新日:3月30日

2023年11月17日(金)夕方、足利大学看護学部の荻原弘幸先生の研究室を訪問しました。先月、荻原先生の原著論文がIEEE(アイトリプルイー)に掲載されました。IEEEは、電気電子情報分野における最も著名な学会であり、国際的に権威ある論文誌を発行しています。今回は、看護学と理工学の両方の分野で活躍されている荻原先生の「Beautiful Words 」を紹介します。


「根拠の無い自信が物語の始まり」


それでは、皆さんと一緒に、荻原先生のヒストリーを遡ってみましょう。現在に至るまでには、いくつもの転機がありました。



荻原先生は、群馬県太田市の出身で、子どもの頃は体育の先生になるのが夢でした。バスケットボールに夢中になり、群馬県立太田工業高校(情報技術科)へ入学し、高校時代は小淵雅選手(元群馬クレインサンダーズキャプテン)とも一緒にプレイしていたそうです。意外でした。そんな中、最初の転機が訪れます。



<第1の転機>工業から看護へ 


高校在学中、ご自身の怪我や病気、友人のご不幸などが重なり、体育系とはあまり関係のない看護への道を選択されました。周囲もその選択を応援してくれたそうですが、当時、工業高校から看護学校へ進路を希望する前例がなかったため、受験前は特に悲壮感漂う毎日を送られていたようです。しかし、見事、東邦大学医学部看護学科に合格。卒業後は、北里大学病院(小児科)と太田総合病院(現在、太田記念病院)の手術室・救急外来で看護師として勤務されていました。そして、次の転機が訪れます。



<第2の転機>舞台は北海道へ


活躍の舞台が北海道へと移りました。

北海道旭川市にある北都保健福祉専門学校の看護学科で小児看護学専任教員として勤務する傍ら、隣接する旭川医科大学大学院に進学されました。その後、旭川医科大学医学部看護学科の助教となり、小児看護学の演習や実習指導に携わることになります。研究では、小児看護師が子どもの権利を守りながら、医療環境の中で、子どもとその家族を支援する実践的な看護とは何かを探求していたそうです。昨年3月、この時の研究が、世界有数の著名なWileyの大手出版社から、Nursing Openという国際的な医学雑誌の原著論文として発表されました。


子どもたちが治療を受ける際の痛み、不安、恐怖などの感情は、その後の治療行為を遅らせたり、家族の不安を増大させることが知られています。荻原先生は、この論文の中で、看護師が「創意工夫を凝らした気晴らし」を実践することで、子どもたちが「あの時頑張れたから、次も頑張れるかもしれない」という前向きな気持ちになってくれることを期待しています。


一方、旭川市から約50キロ離れた滝川市にある「そらぷちキッズキャンプ」の医療スタッフとして、ボランティア活動もされていました。


「そらぷちキッズキャンプ」は、日本で初めての「病気とたたかう子どもたちのための自然体験施設」実現に向けたプロジェクトです。日本国内に約20万人いるといわれている小児がんや心臓病などの難病とたたかう子どもたち。「そらぷちキッズキャンプ」は医療施設を完備し、特別に配慮されたキャンプ施設や自然体験プログラムを設けた、子どもたちの夢のキャンプを創っている場所でした。



<第3の転機>大学の助教から看護師へ


おそらく、一般的な見方であれば、ここに安住の地を見出していただろうと思います。実際、住み慣れた旭川市で四季折々の壮大な環境で、家族とともに幸せな生活を送られていたと伺いました。その中で、きっと思い描く社会貢献ができていたのかもしれません。


しかし、荻原先生は、国立大学の助教の職を辞し、「そらぷちキッズキャンプ」の常駐看護師として勤務することを決断しました。家族のご理解がなければ、とうてい許されない選択だったと個人的には思います。これが、第3の転機でした。


荻原先生は、「そらぷちキッズキャンプ」の看護師として、キャンプ場に来られた子どもたちやそのご家族のそばで、多くの体験を重ねられました。しかし、自然の中で体験することが叶わない子どもたちも大勢いました。荻原先生の中では、病室や施設にいながらにして、あたかもそこに自然を感じ取れるような体験をさせられないか、その体験をご両親、ご兄弟と共有することができないか、という思いとアイデアがふつふつと沸き上がってきました。


そこで、荻原先生は、病室や施設にいながら自然を体験できるテクノロジーを生み出すことによって、子どもたちの「気晴らし」となるよう創意工夫してみようと考えました。具体的には、病室内で簡易的に投影できるプロジェクションの実現でした。しかし、これまでのテクノロジーでは、病室で投影するには、少なくとも数百万円単位のお金と時間がかかり、専用の大きな機器を用いる必要があったので、現実的ではありませんでした。


このアイデアを実現するには、次なる転機が必要でした。



<第4の転機>舞台は再び、北関東へ


荻原先生は、6年前、足利大学看護学部の小児看護学講師として着任されました。そこでは、看護学生の育成とご自身の研究課題に取り組まれています。他方、群馬大学大学院理工学府にも在籍し、アイデアの実現を目指してきました。看護学と理工学との二足の草鞋を履きつぶすような、多忙な毎日を送ってきました。細々と研究をしているとおっしゃられていた荻原先生でしたが、ついに、研究の成果が結実しました。電気電子情報分野における最も著名な学会であるIEEEが発行する論文誌に、その論文が掲載されました。


論文のタイトルを日本語に訳すと「医療的ケア児のストレス軽減のための2面投影による気晴らしテクニックの提案」になるそうです。内容的には、病室から出られない子どもたちに、病室にいながらにして、自然を体験できるプロジェクション技術を提案しています。

荻原先生の中で「看護学と理工学」がなぜ結びついたのか、お判りいただけたと思います。



<『Beautiful Words』>


ここまで、長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

最後に、荻原先生のBeautiful Words』を改めて紹介します。


荻原先生は、チャップリンの名言『人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ』にあやかり、「人生、クローズアップすれば自分は一人だが、ロングショットで見れば、自分はその時その時で変わっていく。つまり、そのひとりひとりが自分でもある」と考え、思いついた言葉をメモした「ひとり毎(ひとりごと)集」を作られていました。その「ひとり毎集」の中から、私の目に留まり、すとんと腑に落ちた言葉を「Beautiful Words 」として紹介することにしました。



「根拠の無い自信が物語の始まり」


この言葉には、数々の転機を越えられてきた荻原先生の原動力の秘密が隠されています。この後も、荻原先生には、いくつもの転機が訪れるのではないかと思います。個人的には、このような出来事の一つに立ち会うことができたことを嬉しく思っています。


ところで、このブログを読んでくださった方の中には、荻原先生はとてもお忙しいご様子なので、「家族とはどのような関係なの?」と心配された方もいらっしゃるのではないでしょうか? 私もその一人でした。

しかし、それは杞憂でした。荻原先生は、「家族みんなで過ごせる貴重な時間をそれぞれが理解していて、お互いが自立した資質を持っているからこそ、子どもたちを心から尊敬できますし、すべてを見守ってくれるパートナーとの関係も築いていけます。僕の人生は、本当に恵まれています。」とおっしゃっていました。



「根拠の無い自信が物語の始まり」に込められた思いとは?

そんなことできっこない、と思い込むことは、どんな花が咲くか楽しみにしている芽を摘み取ってしまうのと同じことだと思うよ。」これは、荻原先生が、自分の子どもたちに、小さな頃から言い聞かせている言葉の一つでした。そして「根拠の無い自信が物語の始まり」は、同じことを自分自身に言い聞かせる言葉でもあったようです。

研究室の壁に飾ってあるお子さんが書いてくれた「希望」が、医療を受ける子どもたちとそのご家族に届けられるように、荻原先生は今日もいろんなことに奮闘しています。


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